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人はなぜ勉強するのか? (16)

 

 納得できる理由があれば努力を継続できる①  自分の話

 

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前回の人はなぜ勉強するのか?(15)では、「自分にとっての幸せを実現させようとした時、納得して勉強ができるのではないか、そこになぜ勉強するのかという問いの答えがあるのではないか」というお話をしました。

 

「継続は力」

 

誰もが知ることわざですが、やっぱり納得できる理由がなければ継続することはできないと思うのです。

 

自分で考えた、自分にとっての幸せの実現、そのために勉強する。自分で決めたことであれば、納得してその道を進むことができると思います。

 

受験や就職など進路選択を迫られている学生にとっては、それが夢だったり目標だったりするわけです。夢や目標がなければ、納得して勉強に打ち込むことはできないかもしれないですね。私もそうでした。

 

中学生の頃の私は「千葉県で一番の高校に入りたい」という目標がありました。そのためには何をすべきか明確でした。その目標に向かって勉強し、合格しました。

 

高校に入った時に、今度は「日本一の大学に入る」とでも目標を立てれば良かったのでしょうけど、そうはしませんでした。なぜでしょうか?

 

優秀な同級生に圧倒された?大いにあります。教科によっては、全く勝てる気がしませんでした。

 

部活に打ち込んだ?成長痛に悩まされ満足に活動できませんでした。ちなみに今でも痛いです。それに部活に打ち込んだ仲間たちは、みんな有名な大学に入っています。言い訳にはなりません。

 

一番大きい理由は、目先の目標を立てるには、実はその先の目標もなければならないと気づいたことです。

 

私には夢がありませんでした。

 

普通のサラリーマンの家庭に育った私は、ただ漠然と父親のように会社員になるのだろうなと思っていました。

 

私の父親は東京に本社のある会社で働いていました。家は千葉県の郊外で東京まで1時間半以上満員電車に揺られます。ドーナツ化現象とはこのことです。父は最寄りの駅から始発で会社に行ったり、一つ前の駅に戻って快速電車に乗って東京に向かったりしていました。

 

私はそこまでして自分のことを育てて、アメリカの大学まで出してくれたことに対して感謝していますし、今ではリスペクトしています。ただ、高校生当時の私には理解できませんでした。

 

「満員電車には乗るまい」

 

しょうもない目標を立てた私はアメリカの大学に行くことを決意します。(つづく)


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