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人はなぜ勉強するのか? (17)


納得できる理由があれば努力を継続できる②

 

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人はなぜ勉強するのか?(16)のつづき

 

「満員電車にのらない」という目標がどうしてアメリカの大学につながるの?ごもっとも。話が飛躍しすぎですね。少し説明を。

 

私が高校時代を通じて学んだことは、『「そこそこできる」は「何もできない」に等しい』ということでした。

 

「全教科平均点を上回ること」より「1教科だけだけど学年トップ」の方がかっこいいと思ったのです。

 

私には得意教科がありませんでした。これだけは誰にも負けないという武器がありませんでした。その武器を手に入れるためにアメリカに行こうと思ったのです。

 

昔から映画が好きで、アメリカに対するあこがれもありました。小学生の時に友だちの家のビデオ(当時まだめずらしかったのですが)で見たスター・ウォーズに圧倒されました。あの金ピカのロボット何だ?と。(C-3POです)

 

こんなすごい映画を作るアメリカに行ってみたいと思っていました。映画はどんどんハマっていきまして、新宿へ単館上映の作品を学校サボって、表現が不適切でした、学校に無断でお休みをいただいて、見に行きました。

 

アメリカの大学に行きたいと私が言ったとき、私の両親は猛烈に反対しました。

 

当時、アメリカで日本人留学生が相次いで殺害される事件が起こっていたのです。しかも、そのうちの一人は私の住む隣の町出身の留学生でした。

 

それだけではありません。両親は私が普通に日本の大学に入り、普通に就職すると思っていたのでしょう。父親は、接待で酔って遅く帰ってくると「おまえは東大に入って、通産省(当時)に入れ」と言うのが口癖でした。

 

民間の会社員は接待で虐げられ、官僚はふんぞり返っていたのでしょうか。どっちもまっぴらごめんだと思っていました。虐げられるのも耐えられないし、ふんぞり返って偉そうにもできないと思っていました。

 

いろいろな条件が重なり、アメリカ行きは猛反対されましたが、反対を押し切ってアメリカの大学に入学しました。行ってからも数年は両親とも仕方なくという感じで、納得していないようでした。

 

ここで私の目標がはっきりとします。

 

「アメリカでしっかり勉強して、良い成績で卒業する」

 

大学の寮では毎週末マリファナ(大麻)のお誘いがありましたし、差別されることもありました。そんなものに負けてられるか、両親の反対を押し切ってアメリカまで来て、おめおめと失敗して帰れないぞと思っていました。

 

その先の目標は決まっていませんでしたが、当面の目標が決まり、何をすべきか明確になりました。自分で決めたことなので、文句も言えないですし、言い訳は絶対にできません。ある意味、追い込まれたのです。

 

それでも苦痛ではありませんでした。自分で決めたことなので納得していたからです。私は人生の中で大事なことを教えてもらったと感じています。そしてその機会を与えてくれた両親には心から感謝しています。


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