Do you have a pen? 正解が一つではないことを楽しむ
私はよく授業で「『Do you have a pen?』を日本語にして」と生徒に聞きます。
特に、数学は好きだけど英語はあまり好きではないという生徒で、その数学が好きな理由が「答えが一つだから」と言うときは、ほぼ100%この質問をします。
こういう生徒はかなり多いのです。数学は答えが一つだからわかりやすい。逆に英語や国語は答えが一つとは限らないから納得がしづらく、あまり好きではないというのです。
そのときは、冒頭の質問、「『Do you have a pen?』を日本語にして」と唐突に聞きます。
たいていの生徒は少し驚いたような顔をします。「そんなの簡単だろ」「なぜこの質問?」くらいの表情です。
それから生徒たちは「あなたはペンを持っていますか」とちゃんと答えてくれます。
正解です。
問題集でこの問題があれば、解答にはそう書かれているでしょう。だから正解です。
ある意味、正解です。
ここで、少し考えてみましょう。会話の中でこの質問をした人は、相手がペンを持っているかどうかを知りたいのでしょうか。
Aさん: Do you have a pen?
(あなたはペンを持っていますか。)
Bさん: Yes, I do.(はい、持っています。)
こんな会話は問題集の中でしか存在しません。
だから生徒には、「実際に『Do you have a pen?』と誰かに聞かれたら、相手は何を望んでいると思う?」と更に質問します。
そこまで言えば、生徒はわかってくれます。
質問者は相手がペンを持っているかを知りたいのではなく、ペンが必要だから相手にペンを貸してほしいのだと。
だから、「Do you have a pen?」の日本語は「ペンを貸してくれませんか」でも良いことになります。
私がここで一番生徒たちに伝えたいことは、「答えが一つではないことを楽しもう」ということです。
数学のように、様々な解法があるけど結局答えが一つという面白さも良いですが、答えが一つとは限らない、ケースバイケースで文脈の中から判断していく面白さも認めていくといいなと思うのです。
最後に質問です。
「Do you have a watch?」を日本語にしてください。相手はあなたが時計を持っているかどうかを本当に知りたいのでしょうか?