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人はなぜ勉強するのか?(27)

 

8月に想う  歴史を学ぶ意義


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8月は私たちにとって特別な月だと思います。

 

1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下、8月15日の終戦と歴史的にも大きな出来事が続きました。

 

通常、歴史的出来事は、「1467年 応仁の乱」とか「1600年 関ヶ原の戦い」のように「年」が重要な要素ですが、この三つの出来事は「日付」までが重要なほど短期間にたて続けに起こったのです。

 

毎年この時期になると、テレビ、新聞などで戦争に関する報道やドキュメント番組、映画等を目にする機会が増えます。その度に戦争や核兵器について考える機会が与えられます。

 

今年は、特に「人はなぜ勉強するのか?」について考えているということもあり、「歴史」を学ぶことの意義について考えるきっかけになっています。

 

ここで私は「悲劇をくり返さないために正しい歴史を勉強しなければならない」などと、よくある「歴史を学ぶ意義」を言うつもりはありません。

 

というのも、「正しい歴史」というものの定義があいまいだからです。各国で「歴史認識」が違うという言い方をしても良いと思います。

 

例えば、広島・長崎への原爆の投下に関しても、日本では「原爆は20万人以上の何の罪もない一般市民を殺した」という部分に焦点を当てた議論が一般的ですが、アメリカでは「原爆が戦争を終わらせた」という部分に焦点を当てているのです。

 

「勝者が歴史を作る」とはよく言われることです。権力のある者、強い者が歴史を思いのままに操ってきた例は古今東西、枚挙にいとまがないでしょう。

 

Who controls the past now controls the future(過去をコントロールする者は未来をコントロールする)

Who controls the present now controls the past(現在をコントロールする者は過去をコントロールする)

 

これは、私の好きなアメリカのバンドRage Against The Machineの「Testify」という曲の一部です。そしてこの部分は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの一部引用です。

 

先の大戦で勝利したアメリカに対して、「戦争で軍人ではなく一般市民を殺すことは国際法違反だ」などと言ったところで聞く耳は持たないでしょう。

 

それでも構いません。「歴史認識」の違う国で教育を受けた国民同士が理解し合うのは難しいことでしょう。

 

ですから、私たちは「歴史認識」の違いや各国の教育の違いなども含めて学んでいく必要があります。

 

「歴史」を学ぶ意義は、「相手に謝罪させるため」ではないはずです。

 

ただ、忘れてはならない事実はあると思います。それを次の世代、次の世代に伝えていくことこそ「歴史」を学ぶ意義ではないでしょうか。


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