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人はなぜ勉強するのか? (20)

 

「家族のため」「仲間のため」「社会のため」  大きい目的のために

 

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前回の人はなぜ勉強するのか?(19)では、「人が学ぶのはそれが人間の使命だからだ」という仰々しいお話をしました。

 

話が仰々しくなってしまうのは、「使命」という言葉自体が仰々しいからです。

 

「使命」とは「自分に課せられた重大な任務」というお話は前回しましたが、「使命」という言葉には、「自分のため」に行動するというより「人のため」や「社会のため」に行動するということを含んでいるのです。だから話が大きくなってしまうのです。

 

つまり、人はなぜ勉強するのか?という問いに対して、「自分の成績のため」とか「自分が志望校に合格するため」とかいう、ある意味「小さい」目的のために学ぶのではないということなのです。

 

もっと「大きい」目的のため、「社会の発展のため」に人間は学ぶべきなのです。

 

「目の前の受験を突破するという大目標を『小さい』なんて言わないで」という生徒たちの声が聞こえてきます。

 

でもね、やっぱり「小さい」目的ですよ。十数年しか生きていない生徒たちにとっては、目の前の壁はあまりにも大きなものに映るでしょう。しかし、その後何十年も生きていくと、もっと大きな壁が次から次へと立ちはだかってきます。そんな時、学校の勉強は教科書があって、そこに答えが書いてある。それはとても楽なことだと実感するでしょう。

 

世の中には、答えの無い問いがゴロゴロあります。正解がわからない難問が次から次へと降りかかってきます。

人はそういった問題に果敢に挑戦して、社会のために尽くしていくのです。

 

そもそも、「自分のため」だと遅かれ早かれ限界がきます。

 

「自分のため」のような「小さい」目的のために勉強していると、どこかで甘えが出ます。自分で決めた目標も簡単に下方修正し、それについて言い訳を考えて自分に言い聞かせるのも楽なことです。よほど自分に厳しく、ストイックに取り組む人以外は「自分のため」では続かないのではないでしょうか。

 

それよりも、「人のため」や「社会のため」のような「大きい」目的のために努力することを決めると、簡単に妥協できなくなります。

 

「人のため」とは、「他人のため」「仲間のため」「家族のため」なども含みます。一番わかりやすいのは、スポーツです。バスケやサッカーのようなチームスポーツは特にそうでしょう。自分が頑張って走ることで、仲間を、チームを助けることになります。個人競技と違ってチームスポーツは「こんなもんでいいや」と妥協しても、自分一人が責任を負えばいい状況とは異なります。他のメンバーに迷惑がかかってしまうのです。簡単に妥協できない状況で、「仲間のため」に実力以上の力を発揮できることもあるでしょう。

 

「社会のため」とは、もっと多くの人に関係する一大事です。新しい病気の治療薬の開発などは、そのわかりやすい例でしょう。自分が妥協せず努力を続けることで、多くの人を病から救うことができます。その病気に苦しむ人たちだけでなく、その患者の家族など多くの人もまた助けることができるとなれば、簡単に妥協なんてできないでしょう。そして努力を重ねて、治療薬が完成した時、自分はこのために生まれてきたと「使命」を感じることができるでしょう。

 

「人はなぜ勉強するのか」考えたとき、勉強するのが辛くなってきたとき、なかなか結果が出ずに悩んで迷いが生じてきたとき、「自分のため」という「小さい」目的のために勉強していないか考えるといいでしょう。そうではなく、「自分を応援してくれる家族のため」「一緒に受験勉強を戦っている仲間のため」「社会に貢献するため」という、より「大きい」目的のための勉強にシフトしてみたらどうでしょうか。

 

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