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人はなぜ勉強するのか?(21)

 

「社会のため」に次の世代に伝える  縄文時代の話


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前回の人はなぜ勉強するのか?(20)では、「自分のため」という「小さい」目的のために勉強せず、「人のため」「社会のため」という「大きい」目的のために勉強しようとすると妥協せず努力が続けられるというお話をしました。

 

また、前々回の人はなぜ勉強するのか?(19)では、学んだことを次の世代、また次の世代につなげていく、これこそ人間の使命、「人間に課せられた重大な任務」だというお話をしました。

 

「社会のため」に学んだことを次の世代に伝えていくということを考えるとき、私はいつも縄文時代のことを思います。

 

ここ道南(北海道南部)は、縄文時代の遺跡が多い地域です。青森県の三内丸山遺跡に代表される北東北の遺跡群と合わせて、ユネスコの世界遺産登録を目指しています(追記:2021年7月27日のユネスコ世界遺産委員会で世界遺産登録が決定しました)。

 

以前、家族で函館市内南茅部地区にある縄文時代の遺跡である大船遺跡に行きました。専門家の解説付きで遺跡を案内してくれるという新聞記事を読んだからでした。

 

実は、その遺跡ツアーの日時を間違えて行ってしまったのですが、その遺跡を管理されている方のご厚意で私たちだけに解説付きで遺跡を案内して頂けることになりました。普段から修学旅行生などに案内されているようで、非常に詳しく、やさしく教えて頂きました。竪穴式住居の中にも入らせて頂き、縄文時代の人々の生活にさらに興味を持つようになりました。

 

教科書的に言うと、弥生時代から稲作が始まり、貧富の差が生まれ、土地をめぐる争いなどが起こっていきますが、その前の時代、縄文時代は狩猟・採集の時代です。みんなで協力し合いながら生きていた時代です。

 

逆に言うと、協力し合わなければ生きていけない時代です。食料などを他人から奪っても長い期間貯えておくことができないのですから、他人から奪う理由がありません。むしろ、みんなで仲良く協力して、シカやクジラなどを獲る方が生き残る確率は高まるでしょう。

 

きっと親から子へ、そして孫へ、学んだことを次の世代に伝えていったのでしょう。どうやってシカやクジラを獲るのか、どの木の実や野草が食べられるのか。「社会のため」という意識があったとは思いませんが、「家族のために」という意識はあったと思います。

 

近くの函館市縄文文化交流センターには、国宝の中空土偶をはじめ、様々な出土品が展示されています。そこに、子どもの手形や足形の付いた土製品があります。

 

これは、現代の私たちと共通点があるなと思い、とても興味を持ちました。子どもの誕生日などに、手や足を粘土版に押しつけて、手形や足形を取るのと全く同じです。

 

ただ、縄文時代のそれは、亡くなった子どもの足形を大切に飾っておいて、親が亡くなった時に一緒に墓に埋葬したと考えられているそうです。

 

それでも、子を想う親の気持ちには変わりありません。何千年前の人も今の人と同じような気持ちで生きていたかと思うとうれしくなります。「家族のため」という意識があった証左ではないでしょうか。

 

太古の昔からそうやって、次の世代、次の世代と学んだことを伝えてくれたおかげで、私たちは快適に生きています。そして現代に生きる私たちはこれを次の世代につなげる責務があります。それを「人はなぜ勉強するのか?」という問いの答えの一つにするのは、至極当然のことだと言えるのではないでしょうか。


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