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人はなぜ勉強するのか? (18)

 

失敗を伝えること  ヨーダから学ぶ師匠のあり方

 

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人はなぜ勉強するのか?(16)と、人はなぜ勉強するのか?(17)の2回にわたって、私自身の経験を通して、「納得できる理由があれば努力を継続できる」というお話をしました。

 

自分の話をするのは、なかなか大変なことです。自分にとって都合のいい話であれば良いのですが、あまりかっこよくない話だと恥ずかしいものです。

 

「夢がなかった」とか「得意教科がなかった」とか誇らしい事とは言えません。

 

ましてや、これから未来のある生徒たちに勉強を教える仕事をしている以上、もう少しかっこつけたいと思うのも無理ないことでしょう。あえて自分にとって不都合な真実を生徒に言う必要は全くないのです。

 

しかし、私は学校の先生ではないので、聖人君子でいる必要はないと思っています。どんな手を使っても、生徒の成績を上げ、志望校に合格させる。このこと以外に私の存在意義はないと思っています。

 

学校の先生と違って、私はただの人なので、一般的に「正しい」とされていることを言う必要はなく、かっこつけて威厳を保つ必要もありません。

 

「学校の先生がかっこつけて威厳保っている」という意味ではないですよ。逃げも隠れもできない学校の先生はちゃんとしていなければならないから大変だなと思っているのです。言うことを聞かない生徒がいたとしても、「学校に来るな」とは言えないのですから。

 

私なら逃げも隠れもします。

 

ある生徒や保護者が私に対して信頼感を持てないなら別のところに行けば良いし、私もそういう状況であれば「生徒の成績を上げ、志望校に合格させる」という大目標が達成できないでしょうから、こちらから辞退することもあるでしょう。

 

そういう意味で、私は聖人君子でいる必要はなく、かっこつけて威厳を保つ必要もないと考えています。

 

かっこ悪いことも失敗したことも生徒に伝えようと思ったきっかけがあります。私の大好きな「スター・ウォーズ」の中でヨーダ(小さい緑の人?です)が弟子であるルークに話した内容です。

 

「スター・ウォーズ」は一見するとSF映画なのですが、中身は人間ドラマで、特に親と子の関係、師匠(作中では「マスター」と呼ばれます)と弟子(作中では「パダワン」と呼ばれます)の関係などが重要なテーマです。特に師匠と弟子の関係は、現代の「教育」にとっても、非常に重要な示唆に富んでいます。

 

スター・ウォーズシリーズの8作目である「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」の中のセリフです。

 

Pass on what you have learned. Strength, mastery. But weakness, folly... failure also. Yes, failure most of all. The greatest teacher, failure is」(学んだことを伝えなさい。強さ、技術。それに弱さ、愚かさ、失敗も。失敗は最も大切。失敗は最も偉大な先生である。)

 

過去の「教育」の失敗に悩み、絶望し、新しい弟子をとることに躊躇するルークにその師匠であるヨーダが諭すように言うのです。

 

自分の失敗を伝えることで、生徒(弟子)の目線に立った良い先生(師匠)になれるのかもしれません。失敗は成功の元。成功への道筋をより説得力を持って伝えられる先生になれると思います。

 

映画からでも、大人になっても、学べること、学ぶべきことはたくさんあるのです。

 

最後に、さきほどのセリフの直後にヨーダが言う言葉を。

 

Luke... We are what the grow beyond. That is the true burden of all masters.」(ルーク、私たちはこえられるためにこそ存在する。それこそがすべてのマスター(師匠)の真の責務である。)

 

生徒たちにはどんどん私なんか越えていってほしいです。そのために存在することこそが私の真の責務です。


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