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人はなぜ勉強するのか?(32)


世界平和のために  台湾のおじさんの話


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前回の人はなぜ勉強するのか?(31)では、たまたま出会う数少ない日本人が、その人の日本人に対する印象を決めてしまうかもしれないので、私は外国の人にできるだけ親切にして、日本に対する印象を良くしてもらおうと思っているというお話をしました。


今回は、その続きです。


ある年の年末のことです。家族(両親、弟の家族、私の家族、全部で10人です)で青森に旅行に行きました。


弘前城で家族がお土産屋さんを見ている間、暇をもてあましていた甥っ子と私の下の娘を外で雪遊びをさせて、私は付き添いで様子を見ていました。


そこに同じように暇をもてあまして、たたずんでいる老人がいました。明らかに暇そうで、誰でもいいから話しかけたいといった風でした。何度も何度も目が合い、その度に「話しかけてくれ」と訴えかけてくるようでした。


アジア系の顔でしたが、日本人ではないことはわかりましたので私は英語で話しかけました。


話をすると台湾から家族で旅行に来ていて、家族がお土産屋さんを見ている間、暇だから外にいたようでした。私と同じです。暇同士、いろいろな話をしました。


おじいさんの英語はお世辞にも上手とは言えませんでした。文法や単語も間違いがありましたが、一生懸命英語を話していました。何より堂々と話していたのが印象的でした。


日本人には、こういう老人は少ないだろうなと思いました。完璧に英語を話そうとするあまり、躊躇して話せない人が多いのではないでしょうか。


多少のミスがあっても、立派に意味は通じますし、会話は続きます。何を言おうとしているかは完璧にわかりました。青森で滞在した後、私たちの住む函館に行き、1月3日には夜景を見ると言っていました。


1月3日は英語では「January third」と言いますが、そのおじいさんは「January three」と言っていました。英語の問題集であれば不正解ですが、通じるか通じないかで言うと通じます。


正しい、完璧な英語を話すことは目的ではないはずです。自分の言いたいことを伝え、相手の言いたいことがわかれば良いはずです。それが目的なのです。


そして、このように交流することでお互いやお互いの国のことを知り、理解し合うことが究極の目的ですね。


ちょっと大げさなようですが、世界平和にも繋がっていると個人的には思っています。


そう、つまり私のおせっかいは世界平和のためということです。みんながそういうつもりで人と接すれば、世界も平和になるし、人種差別もなくなるのではないでしょうか。


ですから、「お互いやお互いの国のことを知り、理解し合うために勉強する」ということが言えそうです。お互いやお互いの国のことを知り、理解し合うことが世界の平和に繋がっているならば、「世界の平和のために勉強する」という言い方もできるかもしれません。


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