温かい交流のために 機械を使った翻訳の話
前回の人はなぜ勉強するのか?(32)では、台湾から日本に旅行に来たおじいさんとのエピソードから、上手な英語でなくても一生懸命交流することでお互いやお互いの国のことを知り、理解し合うことができる。そしてそれは世界の平和にも繋がっているのではないかというお話をしました。つまり私たちは「世界の平和のために勉強する」と言っても過言ではないというお話をしました。
日本に住んでいるのだから外国語なんて関係ない、英語を勉強する必要ないなんて言わないで欲しいと思います。
ずっと日本に住んで、海外に行かないから英語なんて使わないと言っていても、海外から日本にやって来る人はいます。そういう海外の人と全く関わることなく生きていくこともできるかもしれません。
しかし、一人一人が「日本人代表」という意識をもって海外の人に接して、日本に対して良いイメージを持ってもらえたら、それは素晴らしいことだと思います。
小さいことかもしれませんが、ほんの少しでも社会に貢献したように思えます。
中には、ポケトークやグーグル翻訳などの機械を使えば海外の人と意思疎通ができるのだから、英語などの外国語を勉強する必要はないと言う人もいるでしょう。
私はその意見に賛成できません。機械を使った翻訳は、血の通っていない交流ではないかと思うのです。
下手でも、間違っていても、外国語を使って頑張って意思を伝えようとしている人間に人は好感を持ちませんか?
海外の人で一生懸命日本語を話そうとしている人をテレビ等で見たことがあると思います。そういう人を「下手な日本語を話しているな」とは思わないと思います。
「日本語を勉強してくれているんだ」とか「頑張って日本語を話しているな」とか好意的な感情を持つと思います。
海外の人も同じではないでしょうか。
私たちが英語やそれ以外の外国語でも頑張って使えば、彼らも好感を持ってくれると思うのです。
それをいきなり機械なんて持ち出して、翻訳し出したら、良い印象は持たれないでしょう。相手も機械と交流している感覚になると思います。用事がすんだらおしまいという関係でしょう。
それでは、お互いやお互いの国のことを知り、理解し合うところまでは到達できそうにありません。
機械などに頼らず、もっと温かみのある交流を目指して、私たちは勉強をする必要があるのではないでしょうか。