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人はなぜ勉強するのか?(49)

   

  『鬼滅の刃』第148話のセリフから想起される言葉


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前回の人はなぜ勉強するのか?(48)で宣言した通り、『鬼滅の刃』を取り上げます。

 

『鬼滅の刃』(きめつのやいば)は、もう説明する必要の無いほど有名ですが、知らない方のために少し説明します。

 

『鬼滅の刃』は『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載された吾峠呼世晴ごとうげ こよはる)による漫画です。舞台は大正時代、主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)になってしまった妹の竈門禰豆子(かまど ねずこ)を人間に戻す方法を探すために鬼と戦う姿を描いた物語です。

 

累計発行部数が1億部を突破するような大ヒット漫画ですので、世の中に多大な影響を与えています。私はこれほど流行っているものは、その社会に与える影響や関係性を考えてみたり、なぜこれほど流行っているのかを検討したりします。

 

今回は、人はなぜ勉強するのか?というテーマなので、「勉強」という点からみた場合に『鬼滅の刃』はどう見えてくるのかということをお話ししたいと思います。

 

『鬼滅の刃』は、名言が多いということで有名です。その名言の一つと言われているセリフを紹介します。148話です。漫画だと第17巻です。

 

主人公の炭治郎は、上弦の参・猗窩座(あかざ)と戦います。

 

「上弦の参」というのは、鬼のランクのことです。鬼の始祖である鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)には直属の十二人の鬼たちがいます。それを十二鬼月(じゅうにきづき)と言います。の鬼に比べて格段に強いこの十二鬼月は、「上弦」6人と「下弦」6人で分かれ(合計12人なので十二鬼月という名称です)、それぞれ「壱から陸の6つの数字」でランク付けされます。「上弦の壱」が1番強く、「下弦の陸」が最も弱いので、「上弦の参」は上から三番目でメチャクチャ強いということです。

 

その上弦の参・猗窩座(あかざ)との戦いの中で「弱者が淘汰されるのは自然の摂理」と言う猗窩座の思想を全否定する炭治郎のセリフを今回取り上げたいと思います。

 

『強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ!』

 

とても家族思いで、鬼に対しても非情になりきれない心優しい炭治郎らしいセリフとして有名です。

 

私はこのセリフをから、「大きな政府」「小さな政府」という言葉を想起しました。(つづく)


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