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人はなぜ勉強するのか?(50)

    

「大きな政府」「小さな政府」


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私は、前回の人はなぜ勉強するのか?(49)で紹介した『鬼滅の刃』148話での主人公・炭治郎の『強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ!』というセリフをから、「大きな政府」「小さな政府」という言葉を想起しました。

 

「大きな政府」とは、政府が経済活動に積極的に介入するような政府・国家のあり方です。国民からの税収入が多くなり、政府から国民への支出が増えることで、政府のすべきことが多くなり、結果「大きな政府」になるのでこう呼ばれています。

 

反対に「小さな政府」 とは、政府が経済活動にあまり加担しないという政府・国家のあり方です。国民からの税収入が少なく、その代わりに政府から国民への支出が少なくなるので、政府のすべきことが少なくなり、結果「小さな政府」になるのでこう呼ばれています。

 

「大きな政府」では、国民が平等に社会福祉を受けられるため、格差が小さくなると言われています。しかし、
課せられる税金が多いため、経済発展に対する国民のモチベーションが低くなるというデメリットがあります。

 

「小さな政府」では、政府があれこれとやらない分だけ競争社会になるので、経済の発展につながりやすいと言われています。一方で、格差が生まれやすく、医療費や教育費などの自己負担も多いため、社会的な弱者が切り捨てられやすいというデメリットがあります。

 

ここで炭治郎のセリフ、『強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ!』を考えてみると、「大きな政府」的な考え方ですね。

 

他方、猗窩座(あかざ)は、『そう 弱者には虫唾が走る反吐が出る 淘汰されるのは自然の摂理に他ならない』と言うのですが、かなり言葉が悪いので、これが「小さな政府」的な考え方だと言うと語弊しかありません。

 

少し和らげて考えてみると、「小さな政府」的な考え方は、「一部の強いもの(大企業や資産家)が経済を引っ張っていくから、それを政府は邪魔するな」というような考え方ですので、猗窩座の発言も「俺が戦うから、他の奴は引っ込んでろ」くらいのことを言っていると解釈すると「小さな政府」的な考え方ととらえることも可能かと思います。

 

「小さな政府」の考え方は、競争原理を働かせるので、どうしても弱者切り捨てに向かっていきます。『虫唾が走る反吐が出る』とまでは当然言いませんが、「弱い者のために強い者が足を引っ張られるのは合理的ではない」という考え方ですから、炭治郎の考え方とは真逆でしょう。

 

炭治郎は、猗窩座に対して『お前の言ってることは全部間違ってる(中略)』と言います。また、『猗窩座 俺はお前の考え方を許さない これ以上お前の好きにはさせない』とも言います。

 

猗窩座は言い方が悪いだけで、考え方自体はよくあるものです。弱者が淘汰されるのは自然界ではよくあることです。いわゆる弱肉強食の世界ですからね。

 

英語では、survival of the fittestと言います。日本語では「適者生存」と訳されることが多いようです。つまり、「弱者が強者に食べられる」という意味ではなく、「変化する環境に適応したものが生き残る」というのが正しい言い方です。

 

一般的には強者が環境に適応しやすいことが多いでしょうから、弱者が淘汰されていくことは多いのではないでしょうか。

 

こう考えていくと、『お前の言ってることは全部間違ってる』とか『俺はお前の考え方を許さない』とまで言うのはどうかと思います。相手の言い分も聞きつつ、柔軟に、かつバランスの取れた考え方を持ちたいものです。たとえ相手が鬼であったとしても。


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