人種差別問題③ ジョージ・フロイドさんの話
実はO・J・シンプソン関連の裁判は、前述したように刑事裁判が無罪でしたが、民事裁判では有罪となりました。
アメリカの人種問題が根深いなと感じさせるのはこういうところです。
何か事件が起こると人種問題が関わってしまうのです。
アフリカ系アメリカ人であるジョージ・フロイドさんが警察官の不適切な拘束方法で死亡させられた事件もそうです。
警察官がジョージ・フロイドさんの首を膝で押さえつけている映像は全世界で話題になりました。ジョージ・フロイドさんの“I can’t breathe.(私は息をすることができない)”という言葉は映像を見たものすべてに衝撃を与えました。
あの映像を見た人は、「白人の」警察官が「アフリカ系アメリカ人の」容疑者を死に至らしめたという人種問題に帰結させて考えてしまいます。
私はあの事件を、「一人の人間の」警察官が「一人の人間の」容疑者を不適切な方法で拘束し死亡させた事件として考えるべきだと思うのです。
一番の問題は人種差別の問題ではなく、「拘束方法が適切だったかどうか」であるべきです。あの映像には映っていない「なぜあのような状況になったのか」という前後の事実関係も検証して、その行動が不適切であれば、その行動に対する責任を警察官に問うべきです。
その事実関係の検証段階で人種による差別や不正行為がないように注意を払うべきです。科学的で、合理的な判断に感情など入り込む余地があってはなりません。それが差別感情などもってのほかです。
テニスの大坂なおみ選手がUSオープンでつけていたマスクは大きな話題になりました。人種差別によって犠牲になったとされる前述のジョージ・フロイドさんを含む7人のアフリカ系アメリカ人の名前が書かれていました。
スポーツ選手の政治的発言の是非や日本でもっと人種差別問題を取り上げるべきだという議論などが活発になりました。
私はもっと冷静に問題を精査すべきだと思います。私はジョージ・フロイドさん以外の6人について、不勉強であまりよく知らないので発言は控えます。今までずっとこの人はなぜ勉強するのか?の中で述べてきたように知ることはとても大事なことです。知らないことを知らないままにしておくのは良くないことです。
しかし、よく知らないで勝手に判断するのもまた良いことではありません。
人種差別は悪いと言うことは簡単です。その前に差別があるかどうかを判断するのはとても難しいことです。本当にそこに差別があるかどうかなんて(公表していない限り)本人しか知り得ない情報で、人に「差別しているだろう」と問い詰めても認めるはずもありません。
私にもアメリカで差別に関して考えさせられた経験があります。(つづく)