人種差別問題② O・Jシンプソン裁判の衝撃
私もアメリカへ留学する前は、そう思っていました。もちろん人はなぜ勉強するのか?(37)で紹介したルームメイトのダンのように差別をしない人たちも大勢いました。しかし、やはり現地で経験しないとわからないこともたくさんあります。
とりわけ、O・J・シンプソンの裁判の時は衝撃を受けました。
O・J・シンプソンはアメリカンフットボールの殿堂入りするようなスーパースターでアフリカ系アメリカ人です。当時彼は白人である元妻とその友人を殺害した容疑で裁判にかけられていました。その裁判の行方は毎日のようにニュースで報じられる大事件でした。
その裁判の判決が言い渡される日、大学の寮内は異様な雰囲気でした。朝からみんなその話題ばかりで、有罪だ無罪だと議論していました。外で“Free O.J. Free O.J.(O・J・シンプソンを自由にしろ。O・J・シンプソンを自由にしろ。)”と叫んでいる学生もいました。そして、いざ判決という時、寮の地下にあるテレビの前にはたくさんの人が集まっていました。
結果は無罪でした。
私が衝撃を受けたのはその判決の結果ではありません。その判決の結果を聞いたテレビの前の人たちの反応です。
すべてのアフリカ系アメリカ人が跳び上がって喜び、すべての白人が頭を抱えて悲しんでいたのです。
この光景は私の大学の寮だけではありませんでした。ニューズウィーク誌にイリノイ州のある大学の学生たちの写真が掲載されていました。そこにも喜ぶアフリカ系アメリカ人学生と呆然とする白人学生という構図があったのです。
アフリカ系アメリカ人はアフリカ系アメリカ人の被告人をアフリカ系アメリカ人だからという理由で無罪だと信じているのだろうか。白人はアフリカ系アメリカ人の被告人をアフリカ系アメリカ人だからという理由で有罪だと思っているのだろうか。
私には謎でした。
裁判というのは、検察側が犯罪の証拠を提示して、弁護側がそれに反論して、それを陪審員が合理的に判断するものだと思っていました。現場に残されていた血痕のDNAがO・J・シンプソンのそれに一致していた時点で(検察側は他にもたくさん証拠を挙げていますが)、もう言い逃れできないなと普通なら考えそうなものです。
科学的で、合理的な判断に感情など入り込む余地は無いと思っていました。ましてや、人種問題が関わってくるとは衝撃でした。
弁護側は、犯罪を捜査した警察官の過去の人種差別問題を取り上げ、捜査が不当、不正に行われていると主張したのです。(つづく)