人種差別問題④ 大学寮での奇声事件
アメリカの大学の寮での出来事です。
2階のラウンジのソファーに1人の白人の学生が座っていました。2階から3階は吹き抜けになっているので、3階を歩いていた私には下が見えました。2階と3階にはその学生と私の2人しかいませんでした。私が3階の自分の部屋に入る少し前に、その2階の学生は突然奇声をあげました。
この行動に差別感情があったかどうか判断することは難しいと思います。
私はそのとき、差別されたと感じました。
マイノリティ(少数派)は、ちょっとしたことでも被害者意識が強く、差別だと感じやすいのはわかります。その奇声を差別と感じるのは被害妄想だと言われれば何も言い返す言葉はありません。
その寮の中では日本人はおろかアジア系ですら私一人しかいませんでしたし、アフリカ系アメリカ人やヒスパニックも数えるほどしかいませんでした。ほぼ白人の中でマイノリティである私が奇声をあげられ、差別を感じ、それでも私は何もしませんでした。
抗議したり、言い返したりするほどの度胸も英語力も当時の私には無かったことは事実です。
しかし、仮にその学生に「差別しているだろう」と問い詰めても認めるはずもなかったでしょう。
あの言動が差別でなかったら何なのでしょう?あの学生が急に奇声を発する「おかしな奴」くらいしか思いつきません。
当時の私はその学生が「おかしな奴」だと思い、完全に無視しました。
つまり、その学生の心の中に差別意識があったかどうかは検証する手段がないので、差別意識はなかったという仮の前提のもとで、「奇声をあげる」という行動だけに注目し、あの場面でその行動をすることは合理的ではない。意味不明である。以上。
このような思考経路をたどり、その学生を完全に無視することにしました。
私がここで言いたいのは、ある事件が起こってもすぐにそれを人種問題に帰結させることなく、冷静に問題が何かを検証し、その問題自体を解決していくことではないかということです。私が差別を感じたことは事実ですが、そのこととその学生の心の中に差別意識があったかどうかは別のことだと思います。
そんな対応じゃ甘いとか、問題の解決にならないと考える人もいるでしょう。確かに、人種差別があったのに無かったことにするということは一部の人には本当に耐えられないことでしょう。今回の事件よりもっとひどい差別を受けている人にとってはなおさらです。
私自身ももっとひどい差別を受けていますが、今回紹介した事実はあえて差別意識があったかどうか微妙な件を選びました。
微妙であるがゆえに、差別意識が無かったという前提に立ちやすい例でしたし、冷静に問題を見つめることを促す例にもなると思ったのです。(まだまだつづく)