『風と共に去りぬ』② 歴史的資料としての価値
前回の人はなぜ勉強するのか?(59)では、アメリカのストリーミングサービス「HBO Max」が映画『風と共に去りぬ』の配信中止を決めたというニュースをきっかけに『風と共に去りぬ』について考えてきました。
そして、「風と共に去った」のは、南北戦争当時絶頂にあった奴隷制のもとに成り立っていたアメリカ南部白人の貴族文化だというお話をしました。
今回の配信中止という決断は、映画『風と共に去りぬ』が人種的偏見を描いているという理由だそうです。つまり、南北戦争以前の奴隷制をもとにした南部を美化し、奴隷制を肯定的に描いているというのがその理由なのです。
私は、このニュースを聞いて何が問題なのか実際に自分の目で見てみようと思いました。
メディアと社会の関係性を研究するのは私の大事な仕事の一つです。
結論から言うと、作中のアフリカ系アメリカ人の使用人が話すセリフの日本語字幕で語尾が「~ですだ」になっているのは、ものすごく気になりました。悪意があるとまでは思いませんが、偏見はあると思いますし、変更すべきことだと思います。
「HBO Max」としては、作品は時代背景の説明や人種差別的描写への非難を付け加えて配信再開予定だそうですが、内容自体は変えないようです。というのも、描写を削ったり、変えたりすれば、それは偏見そのものが存在しなかったと主張することと同じだという考え方からだそうです。
とても正しい判断だと思います。
映画には、貴重な歴史的資料としての価値があります。作品が時代と共に変わる価値観に翻弄されれば、その時代を知る手がかりを無くす恐れがあります。
例えば、『風と共に去りぬ』のような作品が今後一切見られなくなって、存在すら忘れられれば、一部の人によって奴隷制なんて存在しなかったと歴史を歪められる恐れがあります。
それは、人種的偏見を助長しているとして『風と共に去りぬ』を批判している人にとっては望んでいた状況ではないでしょう。
気に入らないとかあるべき姿ではないという理由で過去と向き合わずに歴史を学ぼうとしなければ、その過去の先にある現在の状態を正しく知ることはできません。
目先のことだけ考えて、長い目で見た時の影響を軽視すると良かれと思ってとった行動でも、自分の思惑とは違う方向へ行ってしまうこともあります。
私たちは、何か行動を起こす前にその影響をよく考えるべきです。
その考える時のヒントになるのが、日々の勉強だと思います。常日頃から社会の動きに敏感に反応して、有識者の意見を聞いたり、本を読んだりして、様々な意見や知識を自分の中に取り入れていくと自分で正しい判断を下せるようになります。
ここに人はなぜ勉強するのかという問いの一つの答えがあると思います。