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人はなぜ勉強するのか?(55)

       

トランプ大統領の暴走



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前回の人はなぜ勉強するのか?(54)では、あるネットの記事に対するコメントから、放っておくと権力者が勝手なことをし出すので、勉強して合理的な考え方を身につけ、不合理な相手を説得し、より良い社会の実現に役立たせるというお話をしました。

 

こういうお話をした矢先に、海の向こうでは権力者が滅茶苦茶な論理で選挙の正当性を否定しています。これは民主主義の根幹を揺るがしかねない行為です。

 

ここでもう一度、前回の人はなぜ勉強するのか?(54)でのネット記事のコメントの②を引用し、私の解釈も載せます。

 

勉強する究極的理由は大きく2つあると思う。

①省略

②客観的、合理的な社会秩序を実現する。

この世のなかは放っておけば、権力者、お金持ち、腕力強い人などが社会を支配してしまう。そうした無秩序な社会では、たとえ不合理で矛盾したことであっても、事実はねじ曲げられ、都合の良い論理を押し付けられてしまう。そこで、教育により合理的、客観的な思考を身につけ、不合理な相手を説得できる能力が必要となる。社会にはびこる不合理、不平等、不正を批判的に吟味し、社会に秩序をもたらし、誰もが暮らしやすい社会を目指すために学問は必要なのだと考える。

 

皆さんの中にも②を読んで思い当たることがあるのではないでしょうか。

 

発言力のある人、権力のある人、いろいろな意味で力の強い人が、自分の言い分を強引に押し通して、周りの人を自分の思い通りにしている例をいくつか思い浮かべることができるはずです。

 

そういった人は、誰も逆らわないだろうとウソで事実をねじ曲げたり、自分に都合のいい論理を他人に押しつけたりします。

 

まさに、海の向こうの大統領が行っていることです。

 

すでに亡くなっている人が投票しているとか、不正な郵便投票があったとか、投票数の不正な操作が行われたとかいうものです。

 

主張したいことがあるなら、しっかりとした証拠、根拠を持って主張するべきです。そうでなければ、わがままを言う子どもと同じです。

 

しかし本当に怖いのは、たとえそれが無茶苦茶な論理であっても、大統領がテレビで発言すればそれがさも正しいことのように聞こえてしまう人もいて、完全にそれを信じきってしまう人が大勢いるということです。

 

アメリカのテレビ局では大統領の発言を「事実ではないことも発言している」として途中で打ち切るという事態にまで発展しました。

 

今後、きちんとした証拠が出てくるかもしれません。良識ある人間として、すぐに善悪を決めつけずに事態の推移を見守ることにしましょう。

 

ただ、今のところはアメリカの誇る自由と民主主義はどこへ行ってしまったのかと私は憂いています。


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