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人はなぜ勉強するのか?(57)

 

「知る権利」VS「プライバシーの権利」



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前回の人はなぜ勉強するのか?(56)では、「自由」についてお話しました。そこで全体主義の対極にある個人主義や利他主義との違いなどを通して、海の向こうの人々は先人たちがたどりついた尊く偉大な思想を忘れてはいないだろうかというお話をしました。

 

自由と自分勝手は大きく違います。

 

自由を自分勝手と勘違いして他人の権利を侵害する行為として一般的によく言われるのが、「知る権利」と「プライバシーの権利」の問題です。

 

「知る権利」はよく誤解されている権利です。

 

私も生徒に公民や政治・経済を指導するときは、よくこの話題になります。多くの生徒は誤解しています。

 

「知る権利」とは、国民が国や地方公共団体の情報を知る権利です。よって国民は国や地方公共団体に対して情報公開を求めることができるというものです。

 

国や地方公共団体が、法律に基づいて正しく公平に仕事をしているかどうかを国民がチェックするために国や地方公共団体の情報を知ることが重要です。情報を隠されていては、国民は善悪の判断ができないからです。つまり、私たちにとって「知る権利」は国民主権の根幹をなす重要な権利なのです。

 

しかし、「知る権利」とは、あくまでも国や地方公共団体の情報を知る権利であって、一般人の個人的な情報を知る権利などでは決してありません。多くの生徒はこの点を誤解しています。

 

ですから週刊誌やワイドショーなどが、芸能人やスポーツ選手などの有名人を追いかけまわし、写真や動画を撮って、「私たちには『知る権利』がある」などとは言ってはならないのです。

 

これはむしろ「プライバシーの権利」として守られるべきものです。

 

「プライバシーの権利」とは、人がその個人的な生活や情報をみだりに他人の目にさらされない権利です。

 

政治家は、国民の代表として仕事をしている以上、「公的存在」としてある程度「プライバシーの権利」が侵害されることはあるかもしれません。

 

しかし、芸能人やスポーツ選手などを私は「公的存在」とは思いません。よって当然「プライバシーの権利」は守られるべきです。ただし、有名であるがゆえに人々への影響力が大きくなるので(だから「公的存在」であると言う人もいます)、その言動には気をつけてもらいたいとは思います。

 

「知る権利」や「プライバシーの権利」は、中学校3年生の公民で勉強します。正しく知って、自分なりの考えを持つことが大切です。そのために、人は勉強するのです。


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