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人はなぜ勉強するのか?(62)

   

  人はなぜ国語を勉強するのか?②  母語を学ぶ意義



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前回の人はなぜ勉強するのか?(61)では、多くの生徒にとって国語という教科が「苦手意識がなく、何となくできている教科」であるというお話をしました。

 

多くの生徒は苦手意識がないので、「勉強しなければ」という危機感が無く、何となくできているので得点は安定しません。模試などの結果は、テスト当日の問題次第だと思っている生徒が大半なので、そもそも「勉強するだけムダ」と思って勉強しない生徒も非常に多いのです。

 

しかし、一度国語ができるようになると、これほど簡単に得点できる教科は他にありません。毎回同じアプローチで問題に取り組むことができるので、怖いものはありません。

 

「何となく解いている」や「何となくできる」といった「何となく」から脱して、「自信を持って解いて、できる」に変わることができます。私はそういう指導を日々しています。

 

さて、ここで本題に戻ります。国語を学ぶ意義とは何でしょうか。なぜ学ばなければならないかが明確になれば、少しはヤル気が出ると思います。

 

やはり、国語を学ぶ一番の意義は、国語はその人にとっての母語だからではないでしょうか。母語とは広辞苑によると、

 

       幼時に母親などから自然な状態で習得する言語。第一言語。

 

とあります。

 

人は考えるときに母語を使って考えるはずです。その母語の能力が上がること— 具体的には、語彙が増えることや論理的な説明を学ぶことなど― によってより深く物事を考えられるようになると思います。

 

幼児と大人では話す内容が違うことは誰でもわかります。頭の中で考えている内容も違うことは容易に想像できるでしょう。

 

また、私たちは多くの人と関わったり、打ち合わせや会議を行ったりするなど多くの人とコミュニケーションをとります。

 

時には立場や意見の違う相手とうまくコミュニケーションをとる必要もあります。

 

コミュニケーションとは、メッセージのやり取りなので、まず相手が話す内容(メッセージ)を正しく理解しなければなりません。そしてそのためには、豊富な語彙がなければ理解力に差が出てしまうのは明らかです。相手の話す言葉の意味が分からなければ、何を話しているかわからないからです。

 

次に、こちらのメッセージを相手に伝えなければなりません。その時に必要なことは、周りの人に対して物事を論理的に説明する力です。独りよがりの論理で話しても、誰も納得してくれません。

 

国語(現代文)の中でも評論(説明的文章)は、筆者が伝えたいこと(メッセージ)をその文章を読む人に対してどのように伝えれば納得してもらえるかを学ぶことができます。その過程で、多くの語彙や論理的な説明の仕方などを勉強していくのです。



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