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人はなぜ勉強するのか?(80)

 



  メタ認知  「学而不思則罔」



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(前回の人はなぜ勉強するのか?(79)のつづき)


勉強する過程で、もう一人の自分に対して説明をすることがあります。


人に説明できるレベルであれば、それは理解していると同じことでしょう。


常にもう一人の自分に対して自問自答することで、より正確に勉強が進みますし、納得できれば理解力も上がります。


これこそ「メタ認知」ですが、2500年も前にすでに「メタ認知」について孔子が理解していたと思うと孔子の偉大さに圧倒されます。


学ぶことや考えることについて、深く思考した結果でしょう。


『論語』の有名な一節です。


学而不思則罔。思而不学則殆。


学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則(すなわ)ち殆(あやう)し。


教えを学んでも自分で考えなければ、はっきり道理を理解できない。自分で考えるだけで人から学ばなければ、(独りよがりになって)危険である。


「罔」という字は、『漢字源』によると「物にかぶせて隠す網」という意味があるようです。そこから転じて「あみをかぶせたように見えない。道理に通じていない。」という意味になったようです。


教えを受けても、それを自分で考えて自分なりの理解に落とし込んでいかなければ、網をかぶせられた人のように真っ暗で何も見えていないのと同じで、何もわかっていないと孔子は言うのです。


今学んだことと以前学んだことを比較したり、どのように役立たせられるか考えたりすることで、より深い理解に到達することでしょう。


また、自分で考えるだけでは、自分勝手な論理で誰も納得してくれないかもしれません。人から学ぶことで、客観性を持ったバランス感覚の良い人間が形成できるのではないでしょうか。


学んだことを覚えているだけでは、それはただの「物知り」です。その学んだ内容が何を意味しているのかという本質的な部分を考えたり、どう使うかという実用的な部分を考えたり、さらに上の次元へ思考を進めようというのです。


「物知り」が認知だとすれば、その認知を上の次元へ思考を進めて超越したものが、まさに「メタ認知」なのです。



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