スキップしてメイン コンテンツに移動

人はなぜ勉強するのか?(96)

 


 メタ認知の鍛え方④  悩み、迷うことがメタ認知を鍛える



                目次へ               


前回の人はなぜ勉強するのか?(95)では、いつもの問題より少し変えられるだけで急に解けなくなるような不測の事態に対応できるようになるには、一見無駄なように思えることも経験しておくと良いというお話をしました。


日頃から「メタ認知」を鍛えて、生徒に合理的な判断を求めるなど、合理性を追求しているのに、無駄に見えることもどんどんすべきだというのは矛盾しているように聞こえます。


理想と現実は違うと言えば聞こえはいいのですが、まだ発展途上の学生が合理的に最短距離を通って、バンバン問題解いていくというのは明らかに無理があるのです。


私が言う「合理的な判断」というのは、ある事柄に思考がたどり着く過程での理由付けが理にかなっている(合理的である)ことを重視するという意味合いで、決して正解に寄り道せず最短距離を通ってたどり着くことを意味していません。


むしろ、私の生徒(高校生以上)ならば一度は聞いたことのあるセリフで、「この解法は天才のやり方」というものがあります。「天才のやり方」が正解への最短距離ならば、誰でもできる方法ではありません。私は自分が残念ながら天才ではないということを知っていますから、誰もがこの「天才のやり方」ができるわけではないということを知っています。


理想と現実というのはこういう事で、理想としては「天才のやり方」でできればいいのでしょうし、そこを追求すべきとも思いますが、現実はそうはいきません。だから、そういう時私は、「普通はこっちしか思いつかないでしょ」という言い方をします。それが、現実問題としてテスト中に天才でなくても無理なく思いつく解法だからです。


前回の人はなぜ勉強するのか?(95)で、「指導者は正解までの最短距離を知っているので、無駄な寄り道をしている生徒にやきもきするケースもあるでしょうが、将来的に役立つ寄り道なら目をつぶるべきでしょう」と述べましたが、このように「寄り道」の種類も指導者は判断しなければなりません。


生徒が正解まで最短距離で行かなくても構わないのですが、正解へたどり着く道の入り口にすら到着していないならば、その理由を探るべきです。つまり、「寄り道」どころか完全に「迷走中」ということもあるからです。


問題を解いているときに何をすべきかわからないとか全く関係ないことをして「迷走中」の生徒は、「メタ認知」をもっと鍛えるべきです。問題を解くために何が必要か、そのために何が必要かと筋道立てて考えることができていないからです。


「メタ認知」を鍛えるために、自分を疑い、世界を疑い、考えて、考えて、考え抜くしかないのです。


次回、宿題について考え抜きたいと思います。



                     目次