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人はなぜ勉強するのか?(76)

 


予習すると意欲がわく



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前回の人はなぜ勉強するのか?(75)では、論語の一節を紹介して、教えを受ける生徒の姿勢はどうあるべきかというお話をしました。


もう一度紹介します。


不憤不啓、不悱不発。挙一隅、不以三隅反、則不復也。


憤(ふん)せずんば啓(けい)せず、悱(ひ)せずんば発(はっ)せず。一隅(いちぐう)を挙(あ)ぐるに、三隅(さんぐう)を以(もっ)て反(はん)せずんば、則(すなわ)ち復(ふたた)びせざるなり。


(学ぶ者本人が)理解しようとしていきりたつほどでなければ、その者の目をひらいて理解させようと教えたりしない。(学ぶ者が自分の考えを)うまく表現できずにいらだつほどでなければ、(うまく言うことができるように)教えたりしない。(四隅ある物事のうちの)一つを取りあげて示すと、(残りの)三つの隅を自分で考えるようでなければ、もう二度とは教えない。


学ぶ者は奮い立つほどの意欲を持たなければならない、そして先生が四つのうち一つ教えたら、残りの三つは自分で考えられるようでなければ、もう二度と教えないというのです。


「一を聞いて十を知る」ならぬ「一を聞いて四を知る」なんて十分大変なことで、一握りの天才にしかできないだろうと思うかもしれません。これはあくまでも例えです。孔子本人も「自分は一を聞いて二を知るくらいだ」と言っているくらいですから。


あくまで学ぶ者の姿勢として、まず準備をしっかりしようと言っているのだと思います。


学ぶ前に準備をする。そうすると疑問が出てくる。あれも知りたい、これも知りたいと思うようになる。そういう気持ちになっている人ならば、先生が教えたこともすぐ吸収するでしょう。


そして普段から準備をしている人は、先生から教えを受けた時に教えられたことと事前に学んだことや自分で学んだことから類推して、先生に教えられたこと以外のことも考えられるようになるのです。


学んだことがいろいろと繋がっていく感覚です。


これができるようになると、成績は飛躍的に伸びます。というのも、指導者はすべての問題の解法を教えるわけにはいかないからです。生徒が自分で考えられるようにならないと問題が解けません。


学校の定期テストならば、授業中に解いた問題しか出題されないのでその場で考えなくても覚えていることで対応できるかもしれません。


しかし、今年から始まる大学入試共通テストでは、今まで見たことのないパターンの問題が出題されるでしょう。生徒は、その場で考えることを要求されます。


そういう時に本当に頼ることができるのは、今までの勉強でどのように取り組んできたか、深く自分で考えてきたか、問題の本質をとらえるような勉強をしてきたかなのです。



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