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人はなぜ勉強するのか?(93)

 


 「自分を疑う」ことは「反省する」こと  「吾日三省吾身」



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前回の人はなぜ勉強するのか?(92)では、ペストをきっかけに中世ヨーロッパが変革を迎えたり、ニュートンの偉大な発見につながったりしたと言われていますが、それ以前に少しずつ変化は起きていて、ペストが一押ししたことで、その変化が加速したと考えるべきだというお話をしました。


また、現代でも新型コロナウイルスがさまざまな問題を顕在化させています。このように明らかになった問題を大いに議論し、解決できたらコロナも悪いことばかりではなかったと後世の歴史家も評価するのではないかというお話もしました。


新しい問題を解決したり、深く思考したりする時に「メタ認知」は必要なものですが、その「メタ認知」を鍛える方法として、私は「自分を疑え」と言ってきました。『論語』の中にも同じような教えがあるので紹介します。


吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。与朋友交而不信乎。伝不習乎


吾(われ)日に吾身(わがみ)を三省(さんせい)す。人の為に謀(はか)りて忠ならざるか。朋友(ほうゆう)と交はりて信ならざるか。習はざるを伝ふるか


わたしは毎日何度も自分自身を反省している。人のために物事を考えるとき、真心を尽くさなかったのではないか。友人と交際するとき、誠実でなかったのではないか。まだ習得していないことを教え伝えたのではないか。

最初の部分の「吾日三省吾身」は、「吾(われ)日に三(み)たび吾(わ)が身を省(かえり)みる」と書き下すこともあるようです。その場合、「私は一日に三回自分自身を反省している」という現代語訳になります。


「三」という漢字には、「三回」のように「みたび」という意味もありますが、「再三」のように「たびたび、何度も」という意味もあります。


私自身の「一日に三回と言わず何度も反省すべきだ」という思いから、「吾(われ)日に吾身(わがみ)を三省(さんせい)す」という書き下し文で、「わたしは毎日何度も自分自身を反省している」という現代語訳にしました。


私は、「反省する」ということと「自分を疑う」ということは同じだと思っています。


「自分を疑う」ということは、「もしかしたら自分は間違っているかもしれない」と自分の行動や考えを省みることだからです。


2500年前の賢人たちも日々反省することで、それまでの自分を超えようとしていたのです。反省して課題が見つかれば、それを次は改善しようと思うはずです。そして、首尾よくその課題を改善できれば人は成長します。



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