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人はなぜ勉強するのか?(89)

 


 知識がないと浅い思考しかできない



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前回の人はなぜ勉強するのか?(88)では、「メタ認知」を鍛える方法として、「自分を疑え」というお話をしました。自分を疑うことで、自分の中の客観的な『自分』との『会話』が促進され、考える習慣がついてきます。


また、「世界を疑え」というお話もしました。世の中で正しいとされていることにさえも疑いの目を向けることで、幅広い知識や誰もが納得する論理、合理的な判断を身につけることができます。


幅広く、たくさんの知識を身につけると、その知識と知識を合わせてさらに合理的な判断ができるようになります。


最近、何でもネットで簡単に調べられるから、知識は無くてもいいという話をよく聞きます。今までの私の話を理解していれば、その考え方が全く的外れなことだとわかると思います。


知識が乏しいということは、それに基づいて思考したり、判断したりする材料が乏しいということに他なりません。つまり浅い思考しかできなくなるので、説得力に欠けていて周囲の人間を納得させることはできないのです。


知識が乏しいと、よく一般的に言う「薄っぺらな人間」になってしまいます。知識が乏しいと自分の中の客観的な『自分』が「薄っぺら」なので、どれほど自分の中の客観的な『自分』との『会話』をしても、「薄っぺら」なままで成長しません。それどころか、間違った判断を下したり、合理的とは程遠い判断をしたりするかもしれません。


一歳児や二歳児は、当然大人に比べれば知識が乏しいです。彼ら、もしくは彼女たちが合理的な判断ができずに周囲の大人には理解できないような行動をとってしまうのもまた当然のことです。


知識が乏しいと、幼稚な思考しかできないので、幼稚な判断、幼稚な行動しかできなくなるのです。子どもは成長するにつれて、知識を増やしていきます。そうすると、だんだん自分の中の客観的な『自分』との『会話』の内容が充実していきます。もちろん、周囲の人間との実際の会話も充実していきます。そうして、だんだんと深い思考ができるようになり、合理的な判断や行動ができるようになります。


そういう意味で私たちは『大人』になるべきです。「何でもネットで簡単に調べられるから、知識は無くてもいい」と言って勉強せずにいると『大人』にはなれません。いつまでも浅い思考しかできない『子ども』のままになってしまいます。


今、学校で学んでいる学生もどんどん勉強して早く『大人』になることを心がけると良いと思います。


私のような家庭教師や塾の講師は、生徒たちができるだけ早く『大人』の思考、判断、行動ができるようになるためのお手伝いをしているとも言えます。合理的な人間ならば、この問題に対して、こう考えるとかこのような行動をとるということを具体的に指示しています。


このように考えていくと、私たちは『大人』になって、合理的な判断や行動をするために勉強すると言っても良いのではないでしょうか。



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