Why do we study?②
前回の人はなぜ勉強するのか?(35)では、英語を使って、「人はなぜ勉強するのか」を調べて、外国の人がどのように考えているのかを調べてみました。
そこから、「学ぶ」ために「勉強する」、つまり「勉強する」ことで「学ぶ」ことができるという構図が見えてきました。
ここで、もう一つの疑問が浮かびます。
「学ぶ(learn)」ために「勉強する(study)」というのであれば、人はなぜ「学ぶ」のでしょうか。
国語辞典や英英辞典の「学ぶ(learn)」の定義から考えると、「知識・技術を身につける」ということは共通しているように思われます。
つまり、人はなぜ「学ぶ」のかを考えることは、人はなぜ「知識・技術を身につける」のかを考えれば良いということになります。
「知識・技術」と一口に言っても、どんな知識か、何のための技術かで答えは変わってくるでしょう。
プロ野球選手であれば野球の技術、伝統工芸の作家であればその工芸の技術、外科医であれば手術の技術でしょう。それぞれに必要な技術を身につけるために「学ぶ」必要があるのです。
ほとんどの場合、その人の仕事に関わる技術だとすると、生きるための技術を身につけるために「学ぶ」という言い方をしても良いでしょう。
現代は仕事・職業が多様化しているので、わかりづらいかもしれませんが、縄文時代であれば、もう少しわかりやすいかもしれません。
魚を獲る技術、木の実を取る技術、土器を作る技術、竪穴式住居を作る技術、衣服をつくる技術、どれが安全な食べ物であるかの知識など、衣食住に関わる、まさに生きるための知識・技術を身につけるために「学ぶ」ということをしていたことでしょう。
それをムラの長老から若者へ、親から子へ、そしてさらに孫へ伝えられていったのでしょう。その過程で教わる側は教えを学びとろうと必死に「勉強」したことでしょう。
現代の学生がなぜ学ばなければならないのか、納得する説明をするのに、仕事の技術・生きるための技術を身につけるためだと言うにはどんな仕事につきたいのかが問題になるでしょう。まだ将来何をするか決まっていない学生には何を「学ぶ」べきか、どんな「勉強をする」べきかがわからないのも当然です。
人はなぜ勉強するのか?(13)では、「行きたい高校や大学に合格するため、なりたい職業につくために人は勉強するというのは、今リアルタイムで勉強している学生なら、そういう考えになる」というお話をしました。
行きたい高校や大学、つきたい職業がある人にとっては、その目標のために頑張ることができると思いますが、そうでない人がこの「人はなぜ勉強するのか?」を読んで少しでも納得できる説明を見つけられたらうれしいなと思います。
最後に、Mel Blumbergさんの意見の最後にあった一言を紹介します。
As the saying goes, "Stand on the shoulders of giants."(ことわざでも言っているように、「巨人の肩の上に立ちなさい」)
Mel Blumbergさんの『私たちは勉強したり、学校に行ったりしなくても学ぶことができるかもしれません、しかし、もし私たちがそうするなら、私たちは本やウィキペディア、グーグル上ですでに知られていたり、書かれていたりする知識を再発見するのに多くの時間を無駄にするでしょう。』という意見を前回の人はなぜ勉強するのか?(35)で紹介しました。
この“Stand on the shoulders of giants”(巨人の肩の上に立つ)という表現は、先人たちが成し遂げてきた業績や今までに知り得た知識を巨人に例えて、私たちがその上に立つことで新しい発見がしやすくなるということを表した言葉です。
まさにMel Blumbergさんの言うように、先人が学んでくれた知識を勉強することで、効率良く新しい発見のために限られた時間を使うべきだというのです。
私たちも巨人の肩に上に立って、世の中を、未来を見てみましょう。