人はなぜ英語を勉強するのか?② 引っ込み思案?英語を学ぼう
前回の人はなぜ勉強するのか?(65)では、英語を勉強して外国の人と交流することで自分の視野を広げ、世界中の人々との相互理解が進めば、世界平和にもつながるというお話をしました。
英語を勉強する理由として、これほどわかりやすく、人が一生をかけるのにふさわしい、心ふるわせる大義はないのではないでしょうか。
私は以前の人はなぜ勉強するのか?(20)の中で、「自分の成績のため」とか「自分が志望校に合格するため」とかいうような「小さい」目的のためではなく、もっと「大きい」目的のために人間は学ぶべきだというお話をしました。自分の生徒には、このような「大きい」目的のために学んでほしいと思いますし、自らもそういう想いで学び続けたいと思います。
大義などという大風呂敷を広げた後で若干のやりづらさを感じながらも、さらに英語を勉強する理由を考えていきます。
かなり大胆で思い切った提案です。
「引っ込み思案なら、英語を学ぼう」というものです。
函館では、毎年海外の大学で日本語を学んでいる学生を対象に夏季集中講座が開かれています。その学生たちは函館やその近郊でホームステイしながら日本語や日本文化を学びます。
以前、私の家族はその学生を受け入れるホストファミリーになりました。うちにはアメリカの大学で日本語を勉強しているライアンという男の子が来ました。
海外の大学で日本語を学んでいる学生は、とてもきれいな日本語を学んでいます。ですから、一緒に日本語で会話をしていると、とても穏やかで落ち着いた印象を与えます。
ある日、うちにホームステイしている学生とその友達何人かを集めてパーティーをしました。友達同士の会話は英語の時もあったので、私もその時は英語で話をしました。その学生たちが英語で話をしている時の印象が日本語を話している時の印象と全く違って興味深かったのです。
日本語を話している時は、きれいな日本語で穏やかで落ち着いた雰囲気でしたが、英語を話している時は、本当に普通のアメリカの若者だったのです。もっとくだけた感じで良い意味でチャラかったのです。
全員二十歳前後のアメリカの大学生なので当たり前と言えば当たり前です。年相応の話し方なのですが、日本語を話している時とのギャップが大きくて驚いたのを覚えています。
私自身も英語を話すときは、リアクションが大きくなったり、大げさな身振り手振りを使ったりするようになります。アメリカ人が話すときにするような行動を自然とマネしているようです。だから日本語を話している自分とは違う自分になっているような気がします。
ここで何がわかるかというと、使う言語によって同じ人でも雰囲気だけではなく性格も変わるのではないかと思うのです。
実際にアメリカの大学に進学した私の生徒は、周囲の人から「変わった」と言われるようになったそうです。英語という武器を手に入れ自信がついたとか、積極的に行動しなければ評価されないアメリカの大学で変わらざるを得なかったとか他の要因もあるかもしれません。
しかし、それだけではないような気がしています。明らかに言語自体が人の性格に影響を与えているのではないかと思うのです。
だから、「引っ込み思案なら、英語を学ぼう」となるのです。