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7月, 2021の投稿を表示しています

人はなぜ勉強するのか?(30)

  数学の問題を解くのは山登りと一緒   前 へ                                               目次 へ                                          次 へ   数学の問題を解くことは、よく山登りに例えられます。   山の頂上にたどり着くには様々なルートがありますが、結局ゴールである山頂は一つという意味で、数学の問題と同じだと言うのです。数学も一つの正解にたどり着く方法はいくつかあります。   先生によっては、一つの問題で出来るだけ多くの解法を考えなさいと指導する先生もいらっしゃいます。とても面白いと思います。   私がこういう方法もあるよとかこんな解き方もあるよと指導していると、「へぇ〜」と目を輝かせる生徒がいる一方で、「混乱するから解き方は一つにして」と訴える数学の苦手な生徒もいます。   以前、 人はなぜ勉強するのか?(24) の中 で、数学の得意な生徒は特に正解が一つでない教科や問題を嫌がる事が多く、そのような生徒には逆に英文の日本語訳が一つじゃないことに面白さを感じて欲しいというお話しをしました。   数学の好きな生徒は、いろいろな解法があるのに正解が一つということに面白さを感じています。   そこで英文の日本語訳の件も逆の発想をすると、「ペンを貸してください」という思いを伝えるゴールは一つでも、そのためのルート ( 言い回し ) はいくつもあるとも言えると思います。   例えば、「ペンを貸してください」という意思を伝えるのであれば、教科書的には、” Can you lend me your pen? ” ( 「私にあなたのペンを貸してくれませんか。」 ) という言い方をするでしょう。   参考書等には、「 Can you 〜 ? = Will you 〜 ? = Could you 〜 ? = Would you 〜 ? = Please 〜 . 」と書いてあるので、 ”Will you lend me your pen?” や ”Could you lend me your pen?” や ”Would you lend me your pen?” や ”Please lend me y

人はなぜ勉強するのか?(29)

  勉強したくてもさせてもらえない人について考える  マララさんの話     前 へ                                               目次 へ                                          次 へ 「人はなぜ勉強するのか?」ということを考えるにあたって、勉強したくても勉強させてもらえない人々のことを考えてみましょう。   マララ・ユスフザイさんを知っていますか。   パキスタン出身で、女性の権利、教育の必要性、平和を訴える活動をしている女性です。15歳の時、学校帰りに、女性の教育に反対する武装勢力に銃撃されるも、暴力に屈せず教育の必要性を訴え、2014年に史上最年少(17歳)でノーベル平和賞を受賞したことでも知られています。   「女性だから」という理由だけで、学校に行く必要はないと教育の機会を奪われ、それに抗議すると武装勢力に銃撃されるという世界が実際にあるのです。   つまり、勉強したくても怖くて勉強できない人がいるということです。   他にも、貧しさから学校へ行かずに働かなくてはならない子どもたちもいます。   私たちが普段使っているトイレは、水を流すボタンを押す (もしくはレバーを操作する) と6~8リットルの水が流れるそうです。   水道が発達していないアジアやアフリカの一部の国では、私たちが簡単に流している一回分の水の量を水源から家に運ぶのに何時間もかけて歩き、そのせいで学校に行けない子どもたちも多くいるのです。   そのことを思うと、私は何時間もかけて歩いて水を確保せずにボタン一つで済ませられる分だけ、勉強したり仕事したり、何かを成し遂げなければ申し訳が立たないと思うのです。   こうして、勉強したくても勉強させてもらえない人々について考えてみると「人はなぜ勉強するのか?」ということを考えること自体が幸せなことではないかと思います。   勉強したくても勉強させてもらえない人々は、「なぜ」と考えることすらできないのです。そもそも勉強することができないのですから。   私たちは、教育の機会に恵まれ、ボタン一つで水の流れるトイレを持ち、幸せな環境に生きています。   このことを

人はなぜ勉強するのか?(28)

  先の見えない時代を生き抜く力を身につけるために   前 へ                                               目次 へ                                          次 へ   現代は中学生のなりたい職業ランキングで、 YouTuber などの動画投稿者が一位になる時代です。 IT (情報技術)や AI (人工知能)、ロボットの発達により、将来的に無くなってしまう職業もあると言われています。今後、十数年で約半数の仕事が無くなるという研究結果もあります。   このような時代背景の上に、特に今年 2020 年は新型コロナウィルスの感染拡大があり、将来が全く見通せない状況にあります。   これだけ時代の変化が速く、誰もが初めて経験する全く新しい世の中で、どのように生きていくか。これは、子どもたちだけではなく大人たちにも突き付けられている喫緊の課題です。   勉強をするということは、「将来起こる問題を解決する能力を養うこと」だと考えています。   新型コロナウィルスの感染者数の推移を数理モデルで解析するというようなことは、その例の一つだと思います。   人はなぜ勉強するのか?(20) の中で、「 学校の勉強は教科書があって、そこに答えが書いてある」というお話をしました。学校では必ず答えのある問題を解いていきます。   しかし、世の中に出れば正解のない問題や答えの出ない問題も山積みです。その都度、自分で考えて「答え」を出していかなければなりません。   自分なりの「答え」です。正解のない問題や答えの出ない問題であれば、数学のように答えが一つというわけにはいきません。そもそも答えはないのでしょうから、カギカッコ付きの「答え」です。   答えがないからと言って、適当に「答え」を出すということではありません。   一定程度、周りの人が納得するような「答え」でなければ世の中は認めてくれません。   その時に必要なことが、学校での勉強です。なぜならば、学校では義務教育の名のもとで一定程度の前提条件が世の中の人に与えられているからです。   例えば、わかっていることを使って、わかっていないことを証明する方法や、論

人はなぜ勉強するのか?(27)

  8月に想う  歴史を学ぶ意義   前 へ                                               目次 へ                                          次 へ 8月は私たちにとって特別な月だと思います。   1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下、8月15日の終戦と歴史的にも大きな出来事が続きました。   通常、歴史的出来事は、「1467年 応仁の乱」とか「1600年 関ヶ原の戦い」のように「年」が重要な要素ですが、この三つの出来事は「日付」までが重要なほど短期間にたて続けに起こったのです。   毎年この時期になると、テレビ、新聞などで戦争に関する報道やドキュメント番組、映画等を目にする機会が増えます。その度に戦争や核兵器について考える機会が与えられます。   今年は、特に「人はなぜ勉強するのか?」について考えているということもあり、「歴史」を学ぶことの意義について考えるきっかけになっています。   ここで私は「悲劇をくり返さないために正しい歴史を勉強しなければならない」などと、よくある「歴史を学ぶ意義」を言うつもりはありません。   というのも、「正しい歴史」というものの定義があいまいだからです。各国で「歴史認識」が違うという言い方をしても良いと思います。   例えば、広島・長崎への原爆の投下に関しても、日本では「原爆は20万人以上の何の罪もない一般市民を殺した」という部分に焦点を当てた議論が一般的ですが、アメリカでは「原爆が戦争を終わらせた」という部分に焦点を当てているのです。   「勝者が歴史を作る」とはよく言われることです。権力のある者、強い者が歴史を思いのままに操ってきた例は古今東西、枚挙にいとまがないでしょう。   Who controls the past now controls the future (過去をコントロールする者は未来をコントロールする) Who controls the present now controls the past (現在をコントロールする者は過去をコントロールする)   これは、私の好きなアメリカのバンド Rage Agai

人はなぜ勉強するのか?(26)

  ご褒美がもらえるから、ペナルティをくらいたくないから   前 へ                                               目次 へ                                          次 へ 人はなぜ勉強するのか?という問いに対して、ご褒美がもらえるからとか逆にペナルティを食らわないようにとかいう答えを持つ人もいると思います。   「学年で○番以内なら、××がもらえる」とか「テストで○○点以上ならおこづかいがアップする」とか。逆に「クラスで○番以内に入らなかったら、スマホを取り上げる」などとペナルティを設ける場合もあるでしょう。   これは、よく保護者の方から受けるご質問であります。「子どもの勉強に対するモチベーションを保つためにアメとムチを使った方が良いですか」と。   これは、あまり効果は無いというのが私の意見です。   例えば、「成績が上昇したら、お金をもらえる」というルールを決めたとしましょう。もらえるものは何でも良いのですが、お金が一番わかりやすいのでお金にしましょう。   ある生徒がちゃんと勉強して、成績が上昇したとしましょう。一見すると、このルールは生徒のモチベーションアップに寄与し、結果が出たと思えるかもしれません。   これは長い目で見ると恐ろしいことだと思うのです。なぜならば、この生徒は「お金がもらえる」という理由で勉強しているからです。どこかの段階でこのルールを止めたら、この生徒は勉強しなくなってしまうかもしれません。   「成績が下がったら、スマホを取り上げる」というペナルティの場合もそうです。   スマホが無くなったら困る生徒は、一時的に頑張って勉強するかもしれません。しかし、それでも成績が下がってしまったらどうでしょう。   ルールなので、スマホは取り上げられます。それで、この生徒はモチベーションが一気に下がり、「もういいや」となってしまうでしょう。それでおしまいです。一度下がったモチベーションを上げるのは至難の業です。   「成績が上がったら、もう一度スマホを使えるよ」というルールを作っても、「どうせ無理」と思って勉強しないのがオチです。   やはり、 人はなぜ勉強するのか