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9月, 2021の投稿を表示しています

人はなぜ勉強するのか?(65)

      人はなぜ英語を勉強するのか?①  海外との交流と世界平和 前 へ                       目次 へ                次 へ   人はなぜ勉強するのか?(61) から 人はなぜ勉強するのか?(64) まで、人はなぜ国語を勉強するのかについて考えてきました。前回の 人はなぜ勉強するのか?(64) で は、 一見お互いに関係ないような「読む力」「書く力」「聞く力」が、実は複雑に関係していて、 英語のリスニングテスト対策としてどのように勉強すれば良いかのヒントになるというお話をしました 。   今回は、この流れで「なぜ英語を勉強するのか」について考えましょう。   私の生徒にとっては、「なぜ英語を勉強するのか」なんて愚問でしかありません。   なぜならば、受験に必須の科目だからです。   よく言われることですが、文系の生徒にとって英語は得点できなければ合格しない教科です。理系の生徒にとって英語は苦手にしている人が多いので逆に得点できればライバルに差をつけられる教科として重要です。   このように英語は、受験生にとって最重要教科なのです。   それを嫌というほど理解している私の生徒にとっては、「なぜ英語を勉強するのか」なんて愚問でしかないのです。   受験英語の重要性については、これくらいにしましょう。それは、入試に合格するという目標を達成するための手段なので「なぜ」と疑問に思わず黙って勉強しましょう。   受験英語以外で「なぜ英語を勉強するのか」を考えて、納得できる理由があれば、さらに英語を勉強する動機付けになると信じています。   私は、 人はなぜ勉強するのか?(32) の中で台湾のおじいさんとのエピソード通じて、英語を使って海外の人と 交流することでお互いやお互いの国のことを知り、理解し合うことが世界の平和に繋がっているというお話をしました。   また、 人はなぜ勉強するのか?(12) の中で、こう書いています。   日本語しか使わなければ、日本語しか話せない人としかコミュニケーションを取れないのです。でも、英語を学んで、使えるようになれば、世界が一気に広がります。多くの人と会話することができるのです。   英語を勉強すれ

人はなぜ勉強するのか?(64)

     人はなぜ国語を勉強するのか?④  「読む力」「書く力」「聞く力」 前 へ                       目次 へ                次 へ 前回の 人はなぜ勉強するのか?(63) では 、国語の勉強をすることで「読む力」「書く力」「聞く力」が伸びて、国語以外の教科の授業での理解力やテスト問題の理解力にも影響していくので、国語がすべての教科の根本だというお話をしました。   また、「聞く力」は、先生の説明や指示を正しく理解するのに重要な力ですが、 「読む力」や「書く力」を鍛える方法と同様に、語彙を増やすことや 論理的な説明の仕方や文法を学ぶことで伸びていくというお話をしました。   一見相互に関係ないような「読む力」「書く力」「聞く力」が、実は複雑に関係し影響し合っています。   人の話を聞くことだけが「聞く力」を伸ばす唯一の方法ではなく、語彙を増やしたり、文法を学んだりすることのような「読む力」や「書く力」を伸ばす方法も「聞く力」を伸ばします。   このことは、よく考えてみると簡単なことです。   例えば私は英語と日本語以外の言語はあいさつ程度しかわかりません。中国語やドイツ語などを話されても、少しも理解できません。私には中国語やドイツ語の語彙が全くインプットされていないので、聞こえてくる音がどういう意味なのかはもちろん、どこからどこまでが一つの単語なのかということすらわかりません。   つまり「わからない単語は聞いても理解できない」ということです。   それならば、相手の話を聞いて理解するためには語彙力を増やすことが一番大事なことだとわかります。   これは、英語のリスニングテスト対策としてどのように勉強すれば良いかのヒントになります。   以前の 大学入学共通テストについて(1) の中で、 センター試験との違いで一番大きいのは英語のリスニングではないかというお話をしました。というのも、筆記試験とリスニングの配点比率が大きく変わったからです。   センター試験では、筆記200点、リスニング50点でリスニングの比率は、250点満点中50点なので、20%しかありませんでしたが、大学入学共通テストでは、筆記100点、リスニング100点でリスニングの比率は、

人はなぜ勉強するのか?(63)

    人はなぜ国語を勉強するのか?③  すべての教科の根本 前 へ                       目次 へ                次 へ 前回の 人はなぜ勉強するのか?(62) では、国語 ( 現代文 ) を勉強する意義として、母語の能力を上げること、 具体的には、語彙を増やすことや論理的な説明を学ぶことによって、より深く物事を考えられるようになり、人とコミュニケーションをとる時にも、相手の意見を正しく理解し、自分の意見を論理的に伝えることができるようになるためというお話をしました。   幼児と大人では、頭の中で考えている内容が違うでしょうし、メッセージを受け取った時の理解力も違うでしょう。   また、自分のメッセージを相手に伝える方法も大事です。どれほど良いアイディアを思いついたとしても、そのアイディアの良さを周りの人にうまく伝えられなければ、そのアイディアは実行に移されない可能性もあるからです。   今回は、国語と学校で勉強するその他の教科との関係性を取り上げます。   国語という教科がすべての教科の根本だということに異論を唱える人はいないと思います。   私は、 小学生の保護者様へ の中でこう書いています。   国語ができる子とできない子では、他の教科の問題でも問題文を読んだときに理解度が違ってきます。最近は生徒たちを指導していても、「問題の意味がわからない」という質問が多いような気がします。みな同じ問題文を読んで設問に答えるわけですから、「問題の意味がわからない」というのは問題を解くうえで致命的です。   生徒はみな同じ問題文、設問を読んでいますが、その理解力には当然個人差があります。また、解答を書く時の表現力にも個人差があります。   それだけではありません。最近は学校のテストで日本語を聞いて答えるという「聞く力」を試しています。この「聞く力」は非常に重要だと思います。   ペーパーテストでは、問題文や設問を「読む力」を基にした理解力が問われますが、普段の授業では先生の話した内容を「聞く力」を基にした理解力が問われているからです。先生の説明や指示が正しく理解できなければ、勉強内容の理解力に差が出るのは必然です。つまり、先生の同じ説明を聞いてもわかる人とわからない人が存在してしまうのは、勉強ができる人とできない人を生んでしまう原因とな

人はなぜ勉強するのか?(62)

      人はなぜ国語を勉強するのか?②  母語を学ぶ意義 前 へ                       目次 へ                次 へ 前回の 人はなぜ勉強するのか?(61) では、多くの生徒にとって国語という教科が「 苦手意識がなく、何となくできている教科」である というお話をしました。   多くの生徒は苦手意識がないので、「勉強しなければ」という危機感が無く、何となくできているので得点は安定しません。模試などの結果は、テスト当日の問題次第だと思っている生徒が大半なので、そもそも「勉強するだけムダ」と思って勉強しない生徒も非常に多いのです。   しかし、一度国語ができるようになると、これほど簡単に得点できる教科は他にありません。毎回同じアプローチで問題に取り組むことができるので、怖いものはありません。   「何となく解いている」や「何となくできる」といった「何となく」から脱して、「自信を持って解いて、できる」に変わることができます。私はそういう指導を日々しています。   さて、ここで本題に戻ります。国語を学ぶ意義とは何でしょうか。なぜ学ばなければならないかが明確になれば、少しはヤル気が出ると思います。   やはり、国語を学ぶ一番の意義は、国語はその人にとっての母語だからではないでしょうか。母語とは広辞苑によると、          幼時に母親などから自然な状態で習得する言語。第一言語。   とあります。   人は考えるときに母語を使って考えるはずです。その母語の能力が上がること— 具体的には、語彙が増えることや論理的な説明を学ぶことなど― によってより深く物事を考えられるようになると思います。   幼児と大人では話す内容が違うことは誰でもわかります。頭の中で考えている内容も違うことは容易に想像できるでしょう。   また、私たちは多くの人と関わったり、打ち合わせや会議を行ったりするなど多くの人とコミュニケーションをとります。   時には立場や意見の違う相手とうまくコミュニケーションをとる必要もあります。   コミュニケーションとは、メッセージのやり取りなので、まず相手が話す内容 ( メッセージ ) を正しく理解しなければなりません。そしてそのためには、豊富な語彙がなければ理解力に差が出てしまうのは明らかです。相手の話す言葉の意味が分からなけ

人はなぜ勉強するのか?(61)

   人はなぜ国語を勉強するのか?①  国語という教科の特徴 前 へ                       目次 へ                次 へ 以前の 人はなぜ勉強するのか?(58) の最後に「ついでに現代文の 点も取れます」と書きました。   そこで現代文 ( 国語 ) を学ぶ意義について考えてみたいと思います。今回は、「人はなぜ国語を勉強するのか?」です。   まず、たくさんの生徒にとって現代文 ( 国語 ) とはどういう教科かというお話をします。   多くの生徒は、現代文 ( 国語 ) はどう勉強していいかわからず、学校の授業はしっかり受けるものの家庭学習としては漢字くらいしかやっていないと言います。漢字でも勉強すればまだ良い方で、現代文なんてしょせん日本語、日本語は読めるから特に勉強しなくても大丈夫と思っている生徒も大勢います。   そういう生徒の特徴はこうです。   自分にとって読みやすい題材や知っているテーマが取り上げられたときには高得点が取れる。一方、興味のないテーマや堅く難しい言葉がたくさん使われていて読みづらいときは点が取れない。このように良いときと悪いときの差が大きくなるのがその特徴です。そして、どれくらい得点できるかはテスト当日の運次第だと思っている生徒が大半です。   それでいて、しょせんは日本語なので全くわからないわけではなく、記号問題で得点したり、漢字は書けないけど読めると思っていたりして、何となく点を取っているので苦手だという意識がない生徒が多いです。「 100 点は取れないけど、 0 点もない」というのが国語の特徴です。   数学なんかは、わからないと手も足も出ず、できるかできないかだけの世界なので得意か苦手かは一目瞭然です。できない生徒はできないという自覚があります。全くできなければ 0 点もありえる世界です。だから苦手意識を持っている生徒が多いのです。   苦手意識がなく、何となくできている教科というのは一番やっかいな教科です。   なぜならば、苦手意識がないので、「勉強しなければ」という危機感がないからです。そして、「何となくできている」というのは、なぜ正解したのかというはっきりした根拠がないということなので、次に同じ問題をやったとしてもできる保証がないのです。   こうして国語は、すごくできるわけではないのに

人はなぜ勉強するのか?(60)

      『風と共に去りぬ』②  歴史的資料としての価値 前 へ                       目次 へ                次 へ   前回の 人はなぜ勉強するのか?(59) では、アメリカのストリーミングサービス「 HBO Max 」が映画 『 風と共に去りぬ 』 の配信中止を決めたというニュースをきっかけに 『 風と共に去りぬ 』について考えてきました。   そして、「風と共に去った」のは、 南北戦争当時絶頂にあった奴隷制のもとに成り立っていた アメリカ南部 白人の貴族文化だというお話をしました。   今回の配信中止という決断は、映画 『 風と共に去りぬ 』が人種的偏見を描いているという理由だそうです。つまり、南北戦争以前の奴隷制をもとにした南部を美化し、奴隷制を肯定的に描いているというのがその理由なのです。   私は、このニュースを聞いて何が問題なのか実際に自分の目で見てみようと思いました。   メディアと社会の関係性を研究するのは私の大事な仕事の一つです。   結論から言うと、作中のアフリカ系アメリカ人の使用人が話すセリフの日本語字幕で語尾が「~ですだ」になっているのは、ものすごく気になりました。悪意があるとまでは思いませんが、偏見はあると思いますし、変更すべきことだと思います。 「 HBO Max 」 としては、作品は時代背景の説明や人種差別的描写への非難を付け加えて配信再開予定だそうですが、内容自体は変えないようです。というのも、描写を削ったり、変えたりすれば、それは偏見そのものが存在しなかったと主張することと同じだという考え方からだそうです。 とても正しい判断だと思います。 映画には、貴重な歴史的資料としての価値があります。作品が時代と共に変わる価値観に翻弄されれば、その時代を知る手がかりを無くす恐れがあります。   例えば、『風と共に去りぬ』のような作品が今後一切見られなくなって、存在すら忘れられれば、一部の人によって奴隷制なんて存在しなかったと歴史を歪められる恐れがあります。   それは、人種的偏見を助長しているとして『風と共に去りぬ』を批判している人にとっては望んでいた状況ではないでしょう。   気に入らないとかあるべき姿ではないという理由で過去と向き合わずに歴史を学ぼうとしなければ、その過去の先にある現在の状態を正し

人はなぜ勉強するのか?(59)

   『風と共に去りぬ』①  HBO Max配信中止のニュースにふれて 前 へ                       目次 へ                次 へ 皆さんは、『 風と共に去りぬ 』を知っていますか?   『 風と共に去りぬ 』は、世界的な大ベストセラーになったマーガレット・ミッチェルの同名小説を原作に1939年にアメリカで公開された映画です。 この映画の舞台は南北戦争時代のアメリカ南部ジョージア州です。   邦題は 『 風と共に去りぬ 』ですが、原題は『 Gone with the Wind 』といいます。   何が「風と共に去った」のかは、映画の冒頭にその答えがあります。   There was a land of Cavaliers and Cotton Fields called the Old South. Here in this pretty world, Gallantry took its last bow. Here was the last ever to be seen of Knights and their Ladies Fair, of Master and of Slave. Look for it only in books, for it is no more than a dream remembered, a Civilization gone with the wind...   人は" 古き よき南部 ( オールド・サウス ) "と呼んだ その美しい世界に かつて生きた ― 雄々しい男たち あでやかな女たち そして奴隷を従えた支配者たちも ― 今では すべて夢… 人の心にのみ残る 風と共に去った時代である   日本語訳は映画の字幕をそのまま書きました。いくつも気になる点はありますが、今回はそこを話題にするつもりはないのであしからず。   「風と共に去った」のは、 a Civilization (文化、文明)です。当時絶頂にあった アメリカ南部 白人の貴族文化です。そして、それは奴隷制のもとに成り立っていました。   その アメリカ南部 白人の貴族文化は、南北戦争中に出されたリンカーン大統領の奴隷解放宣言や奴隷制を支持する南部の南北戦争敗北で消え去ったというのです。まさに南北戦争は「風」でした。

人はなぜ勉強するのか?(58)

  創作物の中に出てくる花 前 へ                       目次 へ                次 へ 以前の 人はなぜ勉強するのか?(54) では、あるネットの記事に対するコメントを紹介して、勉強することで合理的、論理的な思考を身につけ、権力者の横暴に歯止めをかけ、より良い社会の実現のために役立てるべきだというお話をしました。   改めてここでそのコメントを紹介します。   勉強する究極的理由は大きく2つあると思う。 ①豊かな人生を送るため。 それは単に就職に有利という意味合いではなく、例えば新聞や遺跡を観るときなど、日常生活で、1つの物事を単に眺めて平面的にしか捉えられない人と、事実や歴史を立体的に俯瞰できる教養がある人とでは、人生の深みに天地の差がある人生となると考えられる。 ②客観的、合理的な社会秩序を実現する。 この世のなかは放っておけば、権力者、お金持ち、腕力強い人などが社会を支配してしまう。そうした無秩序な社会では、たとえ不合理で矛盾したことであっても、事実はねじ曲げられ、都合の良い論理を押し付けられてしまう。そこで、教育により合理的、客観的な思考を身につけ、不合理な相手を説得できる能力が必要となる。社会にはびこる不合理、不平等、不正を批判的に吟味し、社会に秩序をもたらし、誰もが暮らしやすい社会を目指すために学問は必要なのだと考える。   今回は、①の意見についてお話しします。   私も 人はなぜ勉強するのか?(9) から 人はなぜ勉強するのか?(12) までは、勉強すると世界が広がり、人生が豊かになるというお話をしました。   私自身ももっと勉強して知らないことを知ることができれば、今まで気付かなかったことに気付いてもっと豊かな人生が送れるのではないかと日々思っています。   ここでは私が最近見て気付いた、小説や映画、ドラマなどの創作物と花の関係をご紹介します。   小説や映画、ドラマなどの中で花が出てくるときは、必ず製作者の意図がそこにあると考えると面白さが倍増します。その作中で出てきた花の花言葉を必ず調べるようにすると良いと私は思います。   例えば、アメリカのドラマ『ブレイキング・バッド』の中でスズランが出てきます。スズランは英語で「 li